鹿児島 2

飛行機知覧特攻平和会館飛行機




何度行っても胸が苦しくなります・・・ 

大東亜戦争末期(戦後は太平洋戦争ともいう)の沖縄戦において,特攻という人類史上類例のない作戦で,爆弾搭載の飛行機もろとも敵艦に体当たり攻撃をした陸軍特別攻撃隊員の遺品や関係資料が展示してありました・・・

1,036柱の隊員の遺影が出撃戦死した月日順に掲示されている。その下には家族・知人に残した遺書・手紙・辞世・絶筆等を展示してありました   

たくさん遺書がありましたがみなさん達筆できっと立派な方々ばかりだったとおもいます・・・    思い残すことも多かったようです


この写真は有名な写真です・・新聞記者のかたが撮られたらしいですが、特攻の前日だったとのことです。




皆さん、17歳の方だったそうです・・・  特攻隊員たちが二度と帰ることのない「必死」の特攻出撃に臨んで念じたことは,再びこの国に平和と繁栄が甦ることであったそうです。

ご冥福をお祈り申し上げます



《富屋食堂》

息づまるような状況下で、軍の指定食堂「富屋食堂」を経営する鳥浜トメさんは、娘たちとともに、出撃する特攻隊員をあたたかく迎え。そして送り出しました。
  






一番有名なのは、新潟出身の宮川三郎氏(20歳)のエピソード「ホタル帰る」。
バスガイドさんが有名な文を10分間くらい暗唱されました・・・
特攻の前日、トメさんに「特攻したら、ホタルになって帰ってきます」と言い残して出撃、翌日の夜、食堂に一匹のホタルが入ってきて、「宮川さんが帰ってきた」と皆が感じた。というお話。皆、トメさんに、「僕はトンボになって帰ってくる」とか「トメさんに僕の残りの人生全部あげるよ・・」と言い残し特攻されたという悲しいお話でした・・・  バス車内かなりしんみりなってました





またトメさんは、生き延びて嘆いている兵士に「なぜ生き残ったのか考えなさい。何かあなたにしなければならないことがあって生かされたのだから」。と励ましたということです。悲しいです・・・







さてバスは・・・電車



さつま無双の蔵へ・・・  ここではみんな試飲してました・・・熱燗



みんな家に送ってました・・家やはり鹿児島は焼酎ですよね〜熱燗



ここでも蔵や焼酎にに見とれて撮影を忘れました・・・ダメ

Blog Top