☆1月8日☆

こんばんは!MINI 大分の薬師寺です。

皆様の今年の運勢はいかがだったでしょうか??

私薬師寺は珍しく大吉でした。

MINI 大分特製福袋も好評の内に完売いたしました。

新春プレゼント付き福袋をゲットした幸運な方は・・・・大分市のA様、大分市のM様です。

おめでとうございます!!!

 

本日は1月8日・・・一か八かの勝負事の日です。

1989年には年号が昭和から平成に変わりました。

 

本日はイギリスの時計の話を・・・

実は時計といえばスイスが今では有名ですが、機械式時計のルーツはイギリスにあります。

大航海時代の17世紀、トーマス・トンピオン、ジョージ・グラハムといった優れた時計師を輩出し、イギリスは世界の時計産業の中心だったのです。

古い町並みでは今も中世の時計塔が時を刻んでいます。

大英帝国の繁栄を支えた優れた航海技術は、海洋上で正確な位置を知ることができる高精度な時計、マリンクロノメーターによるものでした。

文字通り世界の時計産業の中心だった時代を今も垣間見ることができるグリニッジとロンドンは旅行好きの方はピンと来る方が多いと思います。

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経度0度に定められ世界標準時(GMT)の起点となったグリニッジは、航海と天文と時計の3つを結びつける場所です。

古来より船の航路を知るために天体観測は必要不可欠でしたが、

天文学が発達した18世紀になっても東西の位置(経度)を把握することは難しく、

海難事故は避けられませんでした。グリニッジ王立天文台では天体図が研究され、

議会では経度の測定方法に対して2万ポンドの懸賞金を贈るという「経度法」が制定されました。

結局、天文学のアプローチは実用化にはいたらず、1761年、ジョン・ハリソンが開発した機械式時計がこの難題を解決したのです。
 
グリニッジの時刻を正確に刻み続ける時計があれば、
海上で太陽が真南に昇った時(正午)に時計が16時を示していると時差は4時間、
西経60度のカリブのトリニダード・トバコ付近にいることがわかります。ハリソンの時計はジャマイカまでの航海試験でその精度を証明し、
見事懸賞金を手にしたのでした。

当時、天文台は時計精度の検査機関も兼ね、現代のクロノメーター認定は、この航海用の高精度時計マリンクロノメーターに由来しています。

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 ロンドンの顔といえば、テムズ河沿いにそびえる時計塔ビッグベンです。旧ウエストミンスター宮殿(現在の国会議事堂)の時計塔で、高さ95メートルを誇ります。

日本人の私達にも聞きなれた「キーンコーンカーンコーン」というウエストミンスターチャイム。

2007年の夏に51年ぶりに修復工事を受けたばかりだそうです。自宅のヘルムレ社の掛時計をはじめ、世界各地の時計塔でも採用されているメロディーは、このビッグベンがもとなのです。滞在中、この15分おきに奏でる荘厳なチャイムを聞く機会に何度も恵まれました。

大英博物館には、時計専用の展示室があります。これまで見てきた塔時計から発達した、室内用の機械式時計の名品の数々を見ることができます。

ゼンマイが発明された初期の置時計は、大きなドラム型で時計の針は一本です。それが、振り子式の時計や、円テンプが発明された17世紀以降、小さな置時計や懐中時計が現れます。

この頃の展示品には、トーマス・トンピオンの名前をよく見かけます。

彼はイギリス時計の父と言われている時計師で、多くの弟子達とともに後の時計史に大きな影響を与えました。

特に脱進機の開発で、イギリスは多くの時計職人を輩出しました。当時のイギリスはフランスと並んで、

王侯貴族のための時計や海洋航海用マリンクロノメーターの製造で、時計技術の最先端を行っていたのです。

19世紀には優れた製造技術で台頭してきたスイスに主役の座を譲ることなりますが、イギリス時計師の精神は今も息づいています。

大英博物館の一角に、一人のイギリス人の手による懐中時計が展示されています。

1976年、マン島在住のジョージ・ダニエルズは、革新的なコーアクシャル(同軸)脱進機を開発しました。

特殊な仕組みで機械の磨耗を減らすことで、オーバーホール間隔を飛躍的に延ばすことができます。

この技術はスイス時計最大手オメガの目にとまり、すべてのモデルがこのメカニズムに置き換えられることになっています。

何か17世紀からほぼ同じ技術で時を刻んでるのも不思議なものですね。

イギリスへ行ってみたくなりました。

変わらない技術・・・それはMINIにもありそうですね。

 

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