こんにちは
旅行のときは地図を覚えてからでかけるのがルール、Googleマップ大好きMINI湘南セールスの新井です。
今回はMINIに全く関係ない、藤沢の地名・地形の話
江ノ島、五頭龍伝説の謎を地図を観ながらひもとき(?)たいと思います。
(注:ただの私の趣味の話です。かなり長くなります。)
まず皆様、藤沢にまつわる五頭龍伝説をご存知でしょうか。
江ノ島を観光すると至る所に龍の絵と龍の彫刻があるのが目に入ると思いますが、
龍はこの地に古くから伝わる江ノ島弁天様と深い関係があるのです。
■地名にも刻まれた片瀬の五頭龍伝説
多少長くなります。
昔々、房州、武蔵、相模カ国の境、鎌倉と海月の間に湖水があって、周囲40里、これを深沢と称した。湖水は滔々と水を湛え、四つの山影を逆さに映していた。
諸説ありますがこの湖水は、現在の深沢より南方に位置する夫婦池と言われています。
この湖には五頭一身の龍が棲みついて、洪水や山崩れを起こし、疫病を流行らせ、東国に火の雨を降らせ里人を苦しめていた。
龍は津村水門に現れ、里人の子供を喰い、これを畏れた村人は自分の住み家を捨て他所に越して行った。故に世の人はこの場所を子死越と言った。龍の害は八箇国にも及び、人々は相談して生贄を供えたため巷に泣く声が絶えなかった。
ここに出てくる「子死越」はいつしか漢字が変わり、今の「腰越」になったということです。津村は昔範囲が広く、片瀬・西鎌倉一帯のことらしいですが、今は腰越の北側に「津」がありますね。
欽明天皇の13年(552年)、日夜大地が振動して、雲上に天女が顕現した。雲が去り、霞が散ると、海上の波間に島が現れた。
五頭龍は天女の麗しい姿を見て情を交わしたいと思い、島に渡った。天女は人の命を害するお前は私にそぐわないと言って、龍の希望を断った。五頭龍は今後害を与えることはせず、殺生もしないと誓い、宿念をかなえさせてほしいと哀願した。天女は頷き、龍は天女の教えに随順し誠を発して南成山に向き誓った。世の人はこれを龍口山と名付けた。
時がたつにつれ龍の身体じゃだんだんと衰えていった。自分の寿命の尽きるのを知った五頭龍は、天女に「死んでも私は山となって島と里人を守ります。」と告げ対岸に向かって長々と横たわり一つの山となった。
これが現在の片瀬山で、龍の口のある場所が、現在の龍ノ口(たつのくち)、龍口寺と龍口明神がある場所という事です。
ちなみに現れた島は江ノ島、天女は江ノ島の弁天様です。
また龍口明神のWikipediaを調べると、「龍口明神はもともと龍ノ口の龍口寺西隣に建っていたが関東大震災の全壊により、江ノ島を遠望する、龍の胴にあたる現在の地へと移転した。」とあります。
さて、ここまでは江ノ島と五頭龍の伝説の内容ですが、
・最後の龍が「山となって」のフレーズ
・龍ノ口のという地名
・龍の胴にあたる現在の地(西鎌倉駅より東側の山にある龍口明神)
という、どうも具体的な龍がいるような気がしてならないこの話が気になって、、、、
私なりの龍探しの旅(?)をしてみました。
私なりの龍探しの旅(?)をしてみました。
■嘘か真か片瀬に鎮守する巨大龍
片瀬山一帯を航空写真で見てもなにが何やら、、、
龍ノ口が龍の口にあたる部分である事は確かなはずです。
龍口明神がある場所が龍の胴にあたる場所であるから口と胴の関係から頭は西にある事には間違いない。
このままでは何も分からないだろうと思い、色々な種類の地図や資料を調べていくうちにたどり着いたのが
この地図
片瀬山が開発される前の明治時代の地図です。
あれ??
江ノ島を見つめるような顔の向き、口の場所も龍ノ口に当てはまる。
胴に関しては若干喉元なような感じはしますが、、、
MINI湘南はちょうど角の先に位置に見えます。
角先に川名村の文字も確認できます。
皆様にはどう見えますでしょうか?
ただ、残念ながらこの龍にも見える地形に触れる資料がいくら探しても出てこないので確証はありません。
他にも龍に関する諸説はありますがこの地形の事とはまた別でした。
あくまでもこれは私のたどり着いた一つの見解ですので信憑性には乏しいです。
それにしても、江ノ島を見つめる龍に見えるのは私だけでしょうか、、、、?
是非、ブログを見て頂いた方に意見を頂きたいものです。
MINI湘南にお越しの際はセールス新井まで一言お願い致します!!
以上、MINIに全く関係の無い話でした!笑