関門トンネル
久しぶりに行ってみました・・・ 通行料金は無料でした 平日でしたが観光客の方や、散歩されてる方かなりいらっしゃいました・・・(雨の日も散歩可能ですよね)
トンネルを抜けてめかり公園まで歩いてみました・・・
こんな素晴らしい眺望です
関門海峡、高速道路こんなに近くに見えます・・・
公園には平家の話や耳なし芳一像の説明書きが・・・・
耳なし芳一(みみなしほういち)は、安徳天皇や平家一門を祀った阿弥陀寺(現在の赤間神宮、山口県下関市)を舞台とした物語で、怪談。小泉八雲の小説『怪談』にも取り上げられ広く知られるようになったんですね・・・
阿弥陀寺に芳一という盲目の琵琶法師が住んでいた。芳一は平家物語の弾き語りが得意で、特に壇ノ浦の段は「鬼神も涙を流す」と言われるほどの名手だった。
ある夜、和尚の留守の時、突然一人の武士が現われる。芳一はその武士に請われて「高貴なお方」の屋敷に琵琶を弾きに行く。盲目の芳一にはよくわからなかったが、そこには多くの貴人が集っているようであった。壇ノ浦の戦いのくだりをと所望され、芳一が演奏を始めると皆熱心に聴き入り、芳一の芸の巧みさを誉めそやす。しかし、語りが佳境になるにしたがって皆声を上げてすすり泣き、激しく感動している様子で、芳一は自分の演奏への反響の大きさに内心驚く。芳一は七日七晩の演奏を頼まれ、夜ごと出かけるようになる。
和尚は目の悪い芳一が夜出かけていく事に気付いて不審に思い、寺男たちに後を付けさせた。すると芳一は一人、平家一門の墓地の中におり、平家が崇拝していた安徳天皇の墓前で無数の鬼火に囲まれて琵琶を弾き語っていた。寺の者たちは慌てて芳一を連れ帰り、和尚に問い詰められた芳一はとうとう事情を打ち明けた。和尚は怨霊たちが単に芳一の琵琶を聞くことだけでは満足せずに、芳一に危害を加えることを恐れ、これは危ない、このままでは芳一が平家の怨霊に殺されてしまうと和尚は案じた。和尚は自分がそばにいれば芳一を守ってやれると考えたが、生憎夜は法事で芳一のそばについていてやることが出来ない。かといって寺男や小僧では力不足である。芳一を法事の席に連れていっては大勢の怨霊をもその席に連れて行ってしまうことになりこれでは檀家との間にトラブルを発生させる危険性がある。そこで和尚は芳一を一人にするが怨霊と接触させない方法を採用することで芳一を守ることにした。和尚は怨霊の「お経が書かれている身体部分は透明に映り視認できない」という視覚能力の性質を知っていたので、怨霊が芳一を確認できないように法事寺の小僧と共に芳一の全身に般若心経を写した。ただしこのとき耳の部分に写経し忘れたことに気が付かなかった。また音声によって場所を特定されることを防ぐために芳一に怨霊の武士に声をかけれられてもしかとするように堅く言い含めた。
その夜、芳一が一人で座っていると、いつものように武士(平家の怨霊)が芳一を迎えに来た。しかし経文の書かれた芳一の体は怨霊である武士には見えない。芳一が呼ばれても返事をしないでいると怨霊は当惑し、「声も聞こえない、姿も見えない。さて芳一はどこへ行ったのか・・・」という独り言が聞こえる。そして怨霊には、耳のみが見えたが、芳一を連れて帰らないことで上司に職務怠慢と判断され叱られると心配し、「芳一がいないなら仕方がない。証拠に耳だけでも持って帰ろう」と考えた。耳だけ持ち帰ることが結果的に芳一にどのような損傷を与えるかに思いをいたせず、結果的に頭部から耳をもぎ取って持ち帰ってしまった。そのあと怨霊が上司にどのような仕置きを受けたかについては記述はない。
朝になって帰宅した和尚は耳をもぎ取られ血だらけになって意識のない芳一の様子に驚き、一部始終を聞いた後、芳一の身体に般若心経を写経した際、小僧が耳にだけ書き漏らしてしまったことに気づき、芳一に、小僧の見落としについて謝罪した。その後、怪我は手厚く治療されこの不思議な事件が世間に広まって彼は「耳なし芳一」と呼ばれるようになった。琵琶の腕前も評判になり高所得を得ることが出来、何不自由なく暮らしたという。結果的に芳一に降りかかった禍は彼の名声を高めることに寄与したことになる。
改めて物語を読むと意外にも記憶と違う感じでしたのでご紹介しました・・・いかがでしょうかそのあと怨霊が上司にどのような仕置きを受けたかについては記述はない。のところなんて昔から上司は怖かったんですね・・・しかも怨霊の社会でも・・・・
これから紅葉シーズン是非お弁当持参で行ってみて下さい〜 意外にも感動します